あれから、10年

エリック・カントナが現役を退いてから、早、10年の歳月が経過した。元々、フランスのレキップ紙のインタビュー記事だったが、英国の彼の人気の表れから、サンデータイムズが、英語に直して掲載。面白い、箇所を、独断で、抜粋。


プレーする、意欲が失せた時、それは、試合の為?それとも英国のフットボールを取り巻く環境が問題だったの?

環境が大きな要因だったと思う。マンチェスターを語るには、商品としての重要性を外すことはできない。時々、クラブ側は、選手に、メディアフレンドリーになれと、強制してくる。撮影、インタビューに応じたり、本を書いたり、笑顔で写真に写ったり。私のイメージや名前は多くの場所で使われる。それを避けるために、肖像権に関する、詳細な契約をクラブ側と結んだ。私の写真に対して、クラブ側にその取り扱いを全部委ねた訳だ。しかし、彼らの対応は、惨めなものだった。ファーガソンに会いにいった。そして、チェアマン、マーティン・エドワードにも話を聞いた。そして、私は、口を酸っぱくする程、言った、“すでに、事は始まっているのですよ”と。


試合前のある朝。朝食を摂りに行くと、テーブルの脇に置いてある、優秀なタブロイド紙の見出しに、私の写真が、平然と使われてる。ある選手は、タブロイド紙に自分の写真が載ることに、それ程、神経を注がないだろう。それよりも、大いに誇りに思う、選手も中にはいる。しかし、私の場合は、違った。タブロイドは、私のプレーよりも、私生活に興味を注ぐ悪質な物だ。クラブ側に対して、裏切られたと言う感情があった。その日、私は、引退するつもりだと、宣告した。そして、クラブ関係者に、“OK、私は、引退する。しかし、まだ終わってない。クラブのお粗末な対応について、法廷で戦う”と、告げたんだよ。


今のマンチェスター・ユナイテッドについて、どう思う?

昨今では、彼らには、フットボールクラブとしての顔と、莫大なお金を生む商品としての顔がある。その両方の顔は一見、共存共栄しそうだけど。しかし、私としては、マンチェスター・ユナイテッドフットボールをやる為の組織だ。beau jeu(美しいプレー)の文化。そのような哲学は、長年このクラブに息衝いている。美しく勝利する方法などもそう。彼らのそんな文化は、まだ、凄く愛して止まないね。


40歳に差し掛かって、心境の変化はあるの?それとも、まだ、貴方は、French enfant terrible(フランスの駄々っ子)なの?


それって、僕がそう呼ばれていたってことかい?大した変化はないと思うよ。まだ、やろうと思えば、スタンドで観戦している野郎に、蹴り喰らわすこともできるし。



それでも、今は、少し落ち着いたように見えますよ。


まだ、時々、癇癪を起こしたりする。時は、自分に対して十分理解する機会を与えてくれた。しかし、私の究極の目標は、完全に悟りを開くことだ。常に、それを望んでいる。



貴方は、昨年のWC決勝にいたようですね?ジダンのあの頭突きにはどう感じられましたか?

実際、彼のあの行動はみていないんだ。私は、息子と、スタジアムにいたけれど、彼が、友人に電話をし始めたからね。ジダンがした事は、色々な意味合いがあったと思う。まるで、彼は、子供の頃、マルセイユの移民街の狭い路地でプレーしていたように、WC決勝まで進んだ。実際、マテラッティに与えた、頭突きよりも、その前の、軽打の方が、品が悪いように思えたし。彼にとって、あの時は、特に、フットボールは、子供の頃に体験した、楽しい物だった筈なんだ。ただ、純粋にプレーした結果があれで、自然と出た物だと思う。しかし、待ってくれ。決して、あの手の頭突きを擁護する訳ではないんだ。