ぼくのプレミアライフ、英語題「Fever pitch」

ぼくのプレミア・ライフ

小説家ニック・ホーンビィは自らの処女作で、“アーセナルはこの地球上に愛される為にうまれてきたのではない”と、自らの偏狭的な愛を語った。この自叙伝とも言える、彼のフットボールへの愛情の注ぎ具合は、まさに、Football is my lifeを体現化するものである。後に、映画化される、この作品は、原作とは異なり、アーセナルのリーグ優勝シーズン1988-89に特化し、また、恋愛模様を重要化するといった、世俗化の傾向が見られ、2005年には、この作品は、フットボールをベースボールに変えると言った形で、アメリカ版""Fever pitch"" が制作されると、その一部分だけの過剰な大衆化が危惧される。

彼は、ケンブリッジ時代には、アーセナルと相反する、彼曰く、”同じ宇宙にいない”と言った、正当な理由で、ケンブリッジユナイテッドにお熱になる。そして、英国では、エリートの逃げの仕事?で有名な教師をしながら、ヒルズボロの悲劇に遭遇すると言った、英国フットボール史を彼なりの視点で描いた。所謂、ロンドンの裕福層のフットボールへの接し方と言うべきか?それしか楽しみがない、北部のファンとは少し接し方が違っているように思える。ヒルズボロを出すのは、フットボールファンのあの当時の哀愁に触れる絶好のキーワードで、英国社会の最悪な時代を呼び起こし、ファン並びに、国民に感動を与えたに違いない。彼の人生が、アーセナルなら、今世紀に入ってから、黄金の時代だったのだろうか?しかし、彼の愛するクラブは、彼の遺灰を埋めて欲しいと願った、ハイバリースタジアムを去り、莫大な借金をしながら、新しいスタジアムへと、更なる躍進を目指している。彼も、同時に、世界へとその、普遍的な文体で乗り出すのであろうか?いや、彼は、あくまでもマニアックであり、固執狂で居て欲しい。