ボルトン・ワンダラーズ


英語「Bolton Wanderers」宣教師、Reverend J F Wright によって1874年の創設された、聖職者の為のチームが起源。

創設当時

彼らは、1888年に起こる、フットボールリーグ創設当時からの、伝統的なクラブチーム。当初、彼らのホームスタジアムがなかなか固定できなかった為に、Wanderers(さすらい人)として知られるようになった。1895年にようやく、元化学工場(漂白剤)跡地だった、Burnden Parkに本拠を構えることになる。このスタジアムは当時としてはモダンで、英国最初の照明設備を持つスタジアムとして、試合を行った。彼らの有名な、逸話として、Saturday Pieと言う物がある。1901年のFAcup決勝、再試合がBurnden Parkで開催されることが決まった時、観客にパイを配ることを決めた。その見込みは、当日の鉄道のストで、大幅に狂い、僅か、二千人程しか集まらなかった為、用意したパイを台無しにする羽目になったというもの。また、このスタジアムには、オーナーの意向で、自転車用トラックが隣接されていて、それを使って、フットボールの試合前に、自転車レースが行われていた。

このスタジアム前に使っていた、Pikes Lane は牧歌的なスタジアムで、丘に隣接して建設された為、収容人員に限りがあったこのスタジアムの、第二の観客席となったと言う逸話もある。

低迷する80年代

80年代は一時期、当時のリーグにおいて、4部リーグまで降格すると言う、チームとして危機的な状態が続く低迷期に差し掛かる。結局、財政難に苦しむクラブは、スタジアムの一部を売りさばき、その跡地には、スーパーマーケットが建設される。

リーボックスタジアム時代

晩年の老朽化は、避けることはできず、1997年に、チームが再びプレミアリーグに復帰すると同時に、新しいスタジアム(彼らのスポンサーの名前から)リーボックスタジアムに移ることになる。Burnden Parkが街の中に存在したスタジアム対して、リーボックは、郊外のショッピングモールに隣接する形で作られた、いかにも今風のスタジアムである為に、一部のファンからは不評を買っている。グランドが一望できる客室を備えたホテルがスタジアムに取り込まれる形で存在しており、その趣は、アメリカ的である。スタジアムツアーや、資料館も存在して、近代的なフットボールスタジアムの趣を放っている。

近年、他のビッグクラブのように、大物を大金で獲得する程の財政はなく、各国の旬の過ぎた有名選手を獲得する傾向にあり、それが彼らのクラブに上手く機能している。


ライバルは、同じ、グレーターマンチェスターに所属するマンチェスター・シティ。近年での彼らの活躍は、ファン心理によって、四強(アーセナルマンチェスター・ユナイテッドリバプールチェルシー)の次に強いクラブだと言う自負を持っているようである。